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オーナーからのメッセージ

「あたりまえな日常」がここにある。 

   ―それが、この土地をいかすということ。

この土地は、江戸時代から代々、私の家族が守ってきた場所です。
私はその家の長男として生まれましたが、子どもの頃は、正直ここを出たくてしかたがありませんでした。小学校までは片道40分以上歩いて通い、地元の中学は少し荒れた雰囲気。中学受験をして都内の学校に通うようになり、その後は大学進学を機に家を離れました。
実家に帰るのはたまにだけとなり、どこか“遠ざけていた”土地になっていたと思います。

しかし、結婚して子どもが生まれ、コロナ禍を経て週末にこの地に戻るようになってから、少しずつ考えが変わってきました。


これまで何とも思わなかった風景や日常が、急に魅力的に見えるようになったのです。朝は鳥のさえずりで目が覚める。


近所を歩けば、自然とあいさつが交わされる。
庭や畑で四季折々の実りを育て、川では魚を釣り、子どもたちは虫や動物と出会う。

都会では“特別なレジャー”になるような体験が、ここでは日常の中にあります。


春の花、夏の梅仕事、秋の柿、冬の餅つき。

そんな暮らしが、ごく自然にできる環境が、ここにはあります。

そういう日々を過ごす中で、あるときふと気づいたんです。「これ、めちゃくちゃ豊かじゃないか」と。

それを機に、親とこの土地のことを真剣に話し合うようになりました。最初は、この土地をどう“有効活用”するかを考えていました。ブックカフェや保育園をつくる案も出ましたし、地元に必要な場所は何だろうとアイデアを出し合っていました。

しかし、そうして考えれば考えるほど、「ここにあるものが壊れていってしまう」ように思えてきました。

実際、新座のまちは、地主による脈絡のない土地活用がパッチワークのように繰り返された結果、“余白のある豊かさ”がどんどんなくなってきているように感じます。そうした中で、新座にまだ残るこの土地の自然の豊かさをどう活かすか――その問いに向き合ったとき、「人任せの土地活用ではダメなんだ」「自分自身がどう関わるかが重要なんだ」と思うようになりました。

人任せじゃなくて、自分自身がここでどう暮らしていきたいかが出発点なんだと。

そのうえで、同じような思いを持った人たちと一緒に、この環境を活かした「あたりまえな日常」をつくる。そうして生まれた構想が、「ケヤキファミリア」です。この場所での暮らしが、誰かにとっての「ちょうどいい日常」になることを願っています。無理をせず、でも丁寧に。そうやって、この場所を少しずつ育てていけたらと思っています。

並木 

「ケヤキファミリア」オーナーを代表して

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